夏はまだ終わらない。今日は土曜日なので実験材料採取に市場へ行く日。市場への行き帰りの道は空港へ向かう大型バスのルートと接しているため、日頃このバスとすれ違うと「俺も連れて行ってくれー」といつも旅情に駆られる。そしてたまに遠くに行く時はこのバスに乗り、日常の業務からは解放されたいつもとは違う気持ちでこのルートを通る。来週は久しぶりにその時だ。
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長女と京都駅に行った。現在の京都駅、建築家原広司氏の手によるこの巨大な建造物には、景観論的な視点などから批判も多い。麻生圭子氏など著書*の中で、もちろん控えめにではあるけども「原さんの失敗作、という気がします。」と評している。私は、実は京都駅は大好きであり、ここに来るたび、太宰治の人間失格の中の話を思い出す。田舎者の主人公が初めて駅のブリッジ(跨線橋)を見た時、線路を跨ぐためのものとは気付かず、「ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり」長い間思っていたという話だ。彼はそれが「実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚め」てしまう。京都駅はいつ来ても複雑で楽しくハイカラであり、それほど実利的とも思えない。空まで続いているかのような大階段や、未来的な曲線で形造られた巨大な空間に、好きなだけ遊んでいて良いのである。
*「東京育ちの京都案内(文春文庫)」
*「東京育ちの京都案内(文春文庫)」